お店ばなし

おかみさん

頑固オヤジの焼いたお煎餅を、おもてなしの心と 絶えない笑顔でやんわりと包みます。「ご来店のお客様にご満足いただけるよう、 いつも心がけている」というおかみさん 自慢のお煎餅に負けないくらいの人気者です。

      

 

 

煎餅屋四代記

 大正の初め、曽祖父延造は埼玉県草加市に程近い南葛飾郡舎人村(現足立区入谷)で、煎餅生地屋を営んでおりました。作り上げた煎餅生地を大八車に乗せ、日本橋、神田界隈の煎餅店に卸していました。 帰りのカラ車には魚河岸(当時は日本橋にありました)で仕入れた鮮魚を積み込んで、その日のうちに売り切る、生きのいい魚屋としても繁盛していたそうです。日光街道の千住橋袂には、荷車の後押しを生業にする「オッペシ屋」が居たという時代のお話です。

 祖父はそんな煎餅屋兼魚屋の倅として生まれました。「煎餅生地」の製造に心血を注いでいましたが、東京に出るきっかけを得ますと、港区芝にあった京風煎餅屋の店舗を借り受けます。その時つけていた「みりん堂」の看板もそのまま引き継ぎ、手焼煎餅「みりん堂」として開業したのが始まりです。

 その後関東大震災(大正12年)を契機に、現在の場所、本所区仲ノ郷業平橋(現墨田区業平)で所帯を持ち、店を構えます。当時は東武沿線各地から多くの人々が、浅草方面に向けてやってきました。市電への乗換駅として、業平橋駅がターミナル駅の役割を担っていたからです。数多くの商店が軒を連ね、何軒もの煎餅屋がしのぎを削っていました。そんな中で一枚一枚丹念に焼く鏝(コテ)押しの手焼煎餅はたちまち評判になったそうです。

「一人前の煎餅焼きは、焼き上がった煎餅の顔をそれぞれ憶えているもんよ」とは祖父である先々代の口癖でした。また当時贅沢とされていた「みりん」を隠し味にした醤油ダレは、他の追随を許さないもので、「みりん堂」のお煎餅の飽きのこないしっかりした味わいは、このころから培われてきているのです。

 戦災で焼け出された時も、母方の実家群馬県館林に醤油タレを疎開。現在に至るまで継ぎ足し継ぎ足して、当時の味を守り続けています。

三代目店主